タイトルとした被投的投企(ひとうてきとうき)という言葉、何やら難しい言葉に感じるが実際な哲学の概念である。
知る人ぞ知る言葉であるからご存じの方も多いと思うが、この言葉は本来「被投的」と「投企」を分け、それぞれを理解する必要がある。
まず被投的であるが、これは「本人の意思によらず投げ込まれた世界」を意味する。
分かりやすい表現に置き換えれば「自分の意思で、その生まれは選べない」ということであるから、しごく当たり前のことを言っているに過ぎない。
人間、一度くらい「どうしてボクは金持ちの子供に生まれなかったんだろう」と思いにふけったことがあるだろう(ちなみに私は齢55歳の今日に至るまで、いつか白馬に乗った本当の父親が迎えにきてくれるのを待ち続けている)
つぎに「投企」であるが、被投的に生を受けた人間であっても、その後において常に自己の可能性に向かって存在しているというのが「投企」の持つ意味だ。
これはマルティン・ハイデッガーによって提唱された哲学の概念である。
つまり被投的投企とは、劣悪な環境で生まれるのは本人の意思ではないのであるから、それを気に病まず常に学んでいくことが大切であるというほとの意味である。
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