ライフスタイル 2019.12.08 UpDate

SUNDAY, DECEMBER 08, 2019

ミステリーサークルと平和への祈り

トッチーの「行ってわかったあの土地このトチ」 第1回 千葉県船橋市行田周辺

行田を貫くメインストリート

地図に浮かぶ謎のサークル

現在の行田団地

ミステリーサークルといえば、田園風景に突如出現する円形模様を思い浮かべるだろう。私が知っているミステリーサークルは、都心からさほど遠くない住宅地、千葉県船橋市のとある町に存在する。その土地の名は、行田。

行田のミステリーサークルは、どの地図にもハッキリと描かれている。なぜかって?それは、町を取り囲むように作られた環状道路だからだ。1周約2.5キロメートル。全国津々浦々いわゆる「環状道路」はたくさんあれど、ここまで形が整っていてわかりやすい大型の円形道路は珍しい。

行田は、武蔵野線の西船橋駅と船橋法典駅のちょうど中間付近に位置している。無情にも武蔵野線は行田をスルーするため、陸の孤島と言っても過言ではない。しかし、高度成長期に作られた行田団地のおかげで、この町は東京のベッドタウンとして発展した。ミステリーサークルの内側に二つも小学校が存在することが、人口の多さを物語っている。

新築マンションがもたらす町の新陳代謝

行田公園

近年の行田の進化も、興味深い。かつて大きな敷地を抱えていた税務大学校は縮小し、旧校地に大型マンションが建設された。Aコープ(行田には農協もあるのだ!)のだだっ広い駐車場の一部と昔の雑木林に建てられた新しいマンションも、行田に新陳代謝を与えるかのような存在だ。

もう一つ、行田で欠かせないのが県立行田公園だ。ミステリーサークルの中心部から東西に翼を広げるが如く広がり、地元住民の憩いの場となっている。今日のような気持ちの良い日曜日には、小さい子供たちが芝生の上でかけっこやボール遊びをしている。高齢化が著しい船橋駅前とは違い(おっと失礼)、行田の若々しさは船橋のミステリー、いや、ミラクルかもしれない。これもまた、新しいマンションがもたらす町の新陳代謝のおかげだ。

ニイタカヤマノボレ...

船橋無線塔記念碑

東西の行田公園を結ぶ橋のたもとに、ひっそりと立つ日時計。その下には「船橋無線塔記念碑」の銘板。かつてここ行田に海軍の無線塔があったことを、令和を生きる私たちに静かに知らしめている。歴史の教科書を覚えているだろうか?「ニイタカヤマノボレ一二〇八(ヒトフタマルハチ)」。1941(昭和16)年12月2日、旧日本海軍が発した出撃命令だ。この電文を発信した場所こそ、行田に存在した船橋無線塔だった。

電文中の「1208」からもわかる通り、作戦遂行は12月8日。つまり、78年前の今日。攻撃目標は、ハワイの真珠湾に浮かぶ米海軍艦隊他だった。真珠湾攻撃から78年の今日、その命令を発した地に立ったものの、透き通るような青空の下で無邪気に駆け回る子供達の姿をみると、78年前とのギャップに思わず脱力。

真珠湾攻撃には様々な議論がある。しかし、大勢の犠牲者を出したことは紛れもない事実だ。今、あらためて犠牲者を追悼するとともに、当時より遥かに平和な時代を生きていることに感謝をしたい。

歴史の産物だったサークル

行田公園にかかる橋

なぜ行田にミステリーサークルがあるのか、もうお分かりだろう。かつて無線塔を築造した際、電波が360度全方向に支障なく伝わるよう、無線塔の周りを環状道路で囲んだのだ。なんとも不思議な理由だが、無線塔一つにそこまでこだわるひと昔前の日本人の矜持が伝わってくる。

歴史の産物によって形作られた土地、行田。切り離すことができない過去を持ちながら、昭和から平成、令和と時代が変わっても常に新陳代謝をする町のダイナミズムを見ると、この先どのように発展していくのか、推理小説を読んでいる気分にさせられてしまう。

また一つ、ミステリーが増えてしまった...。


さて、次はどの土地に行ってみようかな?

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