口に出したくはないですが、本当に暑いですね。
今日で6月も終わりますが、東京の6月の夏日は昨日までで12日を数え、今日夏日となると13日にもなります。
梅雨も西日本から次々明けておりますが、関東地方も既に梅雨明けしているのではないかと思われる天気が続いてます。
雨が降る時は記録的なゲリラ雷雨になることが多く、各地で被害を出してます。
果たしてこの先どうなっていくのか不安しかありません。
最高気温が50°Cを超えるような日が来るのでしょうか?
地上げについて
昨今都内の至る所で再開発が行われており、次々高層の建物の建設を中心に新たな街づくりが進められております。
2010年代初めから始められた渋谷の再開発も2027年の桜丘口のサクラステージで完成を見ることになります。
渋谷の他、現在も新宿西口、八重洲等各地区で工事が進行中です。
そして再開発につきものなのが“地上げ”です。
“地上げ”という言葉には、どこか胡散臭さや怖さがつきまといませんか。
バブル期の日本を知る世代にとっては、真夜中のピンポン、ゴミの投棄、暴力的な立ち退き交渉…
そうした負の記憶と結びついている方も多いのではないでしょうか。
しかし近年、この“地上げ”も大きく様変わりしています。
法制度の整備、住民の権利意識の高まり、そして都市開発の目的の変化によって
今や“昔ながらの地上げ”は過去の遺物となりつつあります。
バブル時代の“地上げ”はどのようなものだったのでしょうか。
1980年代後半、いわゆる「バブル経済」真っ只中の日本では、
土地の価格が毎年数十%ずつ上がる異常事態が続いていました。
この時期、都市部では再開発や大型ビルの建設を目論む業者たちが、
あらゆる手段で土地を買い集めていきました。
これが“地上げ”です。
土地を一筆でも多く集めれば、利益は天井知らず。
結果として、一部の住民を追い出すために、暴力団まがいの業者が登場し、
まるでドラマのような現実がそこにはありました。
その代表的な“地上げ”が六本木ヒルズの再開発です。
開発構想の発端は1980年代初頭、当時の六本木六丁目は、木造住宅密集地で、
狭い路地・防災面の課題・建物の老朽化が深刻な地域でした。
森ビルが再開発を提案するが、地権者が約400名以上、建物数は約500棟に及び、
調整は当然ながら困難を極めたのでした。
森ビルは20年以上かけて1軒1軒交渉し、一部住民は自発的に売却に応じるものの、
立ち退きを拒否する住民も多く、交渉が長期化していきました。
この状況の中、一部の土地では、中小不動産業者や“地上げ屋”が間に入り、
転売益を狙って買収するといったことが“地上げ”に繋がっていったのです。
地上げ屋と言われた人たちは、夜間の訪問、圧力的な交渉、周囲の土地を囲って孤立させる(いわゆる「囲い込み」)、
ゴミ投棄や騒音による嫌がらせを継続的に行い住人を追い込んで立ち退きに合意させていったのです。
数々の不服申し立てや行政訴訟も発生し、トラブル続きでしたが2003年4月に地上54階・高さ238mの
「六本木ヒルズ森タワー」を中心に、住宅、商業、オフィス、美術館、ホテル、テレビ局(テレビ朝日)などが集約した
都市型複合開発が完成を見たのでした。
この当時の“地上げ”と違い、今の“地上げ”は、コンプライアンスと共存の時代となりますので、
都市再開発・災害対策・インフラ整備(道路拡張・駅前再編)など、
公共性・合理性の高い目的で行われることがほとんどです。
また、法的な整備や不動産コンサルの介在により、地権者との丁寧な協議、
等価交換(元の土地と新しい建物の一部を交換)等の明確な補償基準が整備されており、
かつてのような強引な立ち退きは稀になりました。
近年は、行政主導での再開発が一般的となって、再開発自体のあり方も大きく変貌してきております。
行政の再開発の手順は以下のようになります。
①地区指定と都市計画決定
②地権者との合意形成(最も時間がかかる)
③権利変換計画の策定(等価交換)
④解体・造成・建設(公共工事としての整備)
⑤施設完成・新権利者へ引き渡し
地権者が強硬に拒否するといったことが、バブル時代と違って少なくなり、
今では納得づくで参加される地権者の方がほとんどではないかと思います。
ただ、人口減少が明らかな日本において、このように次々再開発を進めて新しくタワーマンション、
高層ビルを建設していって将来空室だらけになることはないのでしょうか?
欧米のように古い建造物を大事にメンテナンスしながら、長期間使用できる枠組みにパラダイムシフトされることを期待したいと思います。