エージェント活動 2020.06.27 UpDate

SATURDAY, JUNE 27, 2020

RE/MAX Revoエージェントインタビュー(深町 昌弘)



深町エージェントインタビュー


※RE/MAX Revoでは所属するエージェントさんを広く深く知って頂く為、個別でインタビューをしております。


 


インタビュアー:(RE/MAX Revo オーナー高松・安川)


(安川)(高松)(深町)

以下敬称略


(安川)最初に簡単に深町さんの自己紹介と、エージェントになったきっかけを聞かせてもらえればと思います。


(深町)私は住宅の設計を学ぶ建築の学校を卒業しました。最初は住宅の設計というよりも、設計事務所を自分で、しかも実は海外でやりたいと希望していました。

アメリカもしくはパリで、いろんな先輩の話を聞いて30歳までにそうすると決めていたんです。

そして先輩から『職人さんと一緒でひとつの職場にずっといたら駄目だ、いろんな接客業を渡り歩け』というアドバイスを受け、私が最初に就職した時はCADの普及している時期じゃありませんでしたので、プロの線をまず描けるようになりなさい、というところからスタートしました。

今ではあり得ないことですけれども、1つのペンで1日に何千本も線を描き、細い線、中線、太線、全部描けるようになれ、ということもやっていました。

プランもあらかた任せられるようになり、そのときにも絶対同期には負けないということと、仕事を覚えたいという一心で8か月休まずに仕事に熱中していました。

気がついたら2年目ぐらいから、設計が40人近くいる会社だったんですが、5番目ぐらいに仕事量をこなすぐらいになっていました。ただ、その時21歳かそこらですから、失敗も沢山いたしまして、それでいろいろと勉強させていただきました。

今度はお客様にプレゼンテーションを勉強したいと思って、ハウスメーカーに就職しました。

その会社では色々とプレゼンテーションを学んで、ありがたいことに全国表彰も何度か受けさせていただきました。

その後に、今度はどうしてもやっぱり自分が将来行きたかった国のひとつである、アメリカの方で勉強をしたいという思いが強くなったので、27歳の時だったのですが、なんと、アメリカに行かせてあげるという会社に巡り合いまして、アメリカに半年行って、こっちに1ヵ月帰ってきて、1ヵ月行って、1週間帰ってきて、という生活がしばらく続きました。

オレゴン州ポートランドのビーバートンという所です。

そこで勉強させていただいた後、家族の事情がいろいろと変わりまして、急遽日本にいなければいけなくなり、帰国せざるを得ないことになります。

実はそこで今の家内と出会いまして、結婚した後に、とてもじゃないけれども海外云々という夢が段々遠のいていきました。

そうしている間に、どうせならお客様と直接話せる仕事をしたいと、設計のときからお客様と直接話すことは好きでしたので、営業の世界に飛び込みました。

それが、大手ハウスメーカー「住友林業」という会社なんですけれども、そこで営業をやらせていただきました。

最初はローンの組み方から何から分からない、という状況でした。右も左もわからないまま、自分でいろいろと盗めという時代ですから、また間違えながら覚えていったんですね、痛い目に遭いながら。

そうこうしている間に、お客様のご支援でありがたい事に高成績を残させていただきました。

そして、あるときまたヘッドハンティングの話をいただきまして、それで地元の不動産会社に就職しました。

それで、再度不動産を勉強し、今RE/MAX Revoのほうでエージェントとして働かせていただくことになりました。


(高松)ありがとうございます。僕が一番気になるのは、数々のご実績をあげていらっしゃる深町さんの、その中でも思い出に残ったご契約をよかったら教えていただけませんか?


(深町)住宅販売の時に、営業としての思い出があるお客様です。

かなりの競合だったんですね。実際のところ、その競合会社は生き残りたいがために、めちゃくちゃな額を値引いてくるんです。とりあえず売り上げがあがればいいと、利益は別だと。

もうこれは駄目だと思ったんですけれども、打ち合わせで最終の結論をいただく時に、打ち合わせに1番積極的だった奥様がいないんです。

ご主人が『奥様がいらっしゃらなくて申し訳ないけど、他社に決めます』、理由はというと、あまりにも金額が違いすぎるから。1000万以上安かったんです。

もう駄目だなと思った瞬間にふと、そういえば奥様は?とお聞きしたら、ご主人が無言になりまして、後ろから鼻水を啜る音と鳴き声が聞こえてきたんですよね。

何かなと思ったら、ふすまを開けられて、ものすごい顔で泣きながら、「あなたに決めたかったのに」というんです。それで、奥様の涙を見たときに、逆に私も泣いてしまいました。

ご主人も『本当は深町さんに任せたかったんですどうしたら良いですか?』と言われた後に、「任せていただけるんだったら、僕も怒られるのを覚悟で会社に交渉しますから、契約していただくしかありません」と言いました。

結果的に100万しか引けず、競合とは900万くらいの差があったのに、私で契約して頂けました。


(高松)これは凄いですね。

(安川)なぜ、そこまでして、深町さんにお願いしたいと思っていたんですか?


(深町)プランの打ち合わせの時から、そのお客様が住むとしたら、という前提で要望の聞き取りを徹底していたんですね。赤の他人が赤の他人の家を造るという難しさというのを徹底的にお客様にお話しして、だからお客様にも真剣になっていただかないと家づくりはできないとお伝えし、要望聞き取りは6時間以上になりました。

朝・昼・夕・夜と必ず物件を見に行って、その方の敷地は特に難しく、何回も何回もいろいろと見に行った挙句に、これが一番ベストですというものを、語りに語った上で、やっぱり任せたいという思いを物すごく強くいただいたんですけれども、如何せん価格が高いと言ったところがネックだったんですね。

でもこの方の金額差は実はそこまで大きくなくて、一番大きかったのは1400万円違うということもありました。

これは久留米市の方で、建て替えの方でした。

この方も思い出深い方ですけれども、お父さんがその時は農家さんだったのですが、元は大工さんで、家にはすごくうるさい方でした。

ご親戚に久留米方面では名が売れている工務店がありまして、そこにすると決まっていたんですけれども、息子さんと展示場でお話をさせていただいた時にすごく気が合って、『この方の話を聞いてみてくれないか』と息子さんから、お父さんに話してくれました。

土地はお父さん名義で、しかも1000万以上お金を出すということもあって、言うことを聞かざるを得ないという事情もありました。

色々と話すうちにお父さんとも仲良くなったんですけれども、

『あんなところ高かろうが』という話になり、これはどうしようかと思いました。

自分でもなぜそういう行動をしたのか分からなかったんですけれども、とにかくお父さんと仲良くなろうとして、お父さんの農作業をしているところにいつも顔出しに行っていたんです。

商談の最終決断まで残り1週間というときに、毎日行きました。毎日お父さんがいるところにお茶を持っていって2時間くらいあぜ道で座って話すというのが5日間続いて(笑)お父さんの方から『あんたそろそろ帰らんでいいとね?』と言われ、『すいません。2時間も仕事の邪魔をして』と言って、帰っていました。

最終的に展示にあったショールームに来ていただいて見積を出したら、ほらやっぱり高かったという感じだったんですけれども、『ちょっと深町さん、家族だけで話させていただいていいね』ということで、『はい』と言いました。数分後に『近くにいていいよ』と言われたんですけれども、でも後ろで話していらっしゃるんですね。そのときはお父さんは来ていなかったんです。それで、息子さんが『分かりました、決めます』ということで、『決めますということはうちにですか?えー!?』となりました。お父さんが深町さんに決めろと言っていたそうです。『でも足りないお金はどうするんですか』って聞いたら、総額5000万超えになる費用のうちお父さんがなんと3000万出してくれるという事になりました。


(高松)動かしたんですね、お父さんを。


(深町)続きがあってですね。もう住友林業は退職していたんですが、たまたま柳川の方へ部下と一緒に車で走っているときで、『こういうお客様が前にいてね、1400万くらいの差があったんだけれども、お父さんのおかげで契約できたんだよ』と部下と話していたら、お父さんの名前が書いてある葬儀場があったんです。『まさか、あの名前?絶対あの人しか考えられない』と夜に再度行ったら、やっぱりお父さんが他界されていて、家を建てていただいた息子さん夫婦も、『お父さんは深町さんのことを気に入っていたから、お父さんが呼んだんでしょう』とおっしゃってくれました。


(高松)凄いですね、この話。


(深町)後は、お客様の娘さんから結婚式に呼ばれました。仕事で呼んでいただいたときは小学生だったんですけれども、もうそれから十何年が経って、20何歳になったときに『結婚式に来てもらえますか』ということでした。色々な思い出が尽きないですね。


(安川)以前から深町さんは結構お客様と長くお付き合いされているイメージだったんですけれども、他の営業マンたちはどんな感じだったんでしょうか。


(深町)そうじゃない営業もやっぱりいます。自分が営業になって最初についた上司がそういうお客様と長く付き合う上司だったものですから、私はそれを見習って、年末のカレンダー配りは最後200件以上になっても必ず一軒一軒配って歩いていました。流石に石川県と宮崎県の遠方のお客様だけ郵送しました。


(安川)建築の方を最初やられた後、設計から営業に移られたということで、将来的には深町さんの夢といったところで言うと、やはりこの設計というのもが入ってくるんですか?


(深町)実はあります。どういう方向かというと、大川市のお客様で、大川市では有名人な方なんですけれども、名前は差し控えさせていただきます。この方とどうしても建てたい建物があるんですね。これをどうしても実現したいのです。だから、もしかしたらその方がかなり目上の方なのでお亡くなりになるかもしれないですけれども、どうしてもお互い生きている間に、第一候補地が大川になっちゃうんですけれども、大川もしくは久留米、もしくは福岡でどうしても建てたい建物があって、自分が図面をプランして、という気持ちはあります。


(安川)大川といったら家具屋さんですか?


(深町)そうです。家具で有名なんですけれども、その方は実は某…ちょっと有名な方なので某という事で。もう、名前がわかってしまうので…


(安川)なんとなくわかりました(笑)ちなみに建物は木造ですよね?


(深町)その建物はやっぱり木造で建てたいと思っています。木造は何でもできるので、簡単に言うと子供のための建物なんですね。


(安川)遊び場ですか?


(深町)僕は昔から子供が大好きでして、建築の学校を卒業する時も子供のためのものが卒業作品だったんです。

こだわりすぎて卒業式に参加出来なかったくらい、こだわっちゃったんです。模型を出さないといけなかったんですけれども、模型にこだわりすぎて、『作品ができない限り卒業式には出さない』と言われ、卒業証書はもちろんいただいたんですけれども、卒業式には出られませんでした。

僕の夢である建てたい建物というのは、実は子供のための子供だけで運営できる、子供の将来性を考えた施設なんですよ。それを小さいお子さんから高校生まで、もちろん大人のサポートは入っても、子供が基本的にはそこを運営し、そして将来の我が国を背負うためのマネジメントみたいなところも、そこで学んでいくというものです。どうしても生きているうちに建てたいです。


(安川)学校では教えてくれないことを学べる教育施設ですね。面白いですね。


(深町)放課後と休日のときの施設ですね。商売も子供たちだけでできる施設を作ってあげたいです。

エコノミックアカデミーみたいなものが日本にはないんですよね。お金の考え方であったりとか、商売とは何か、みたいなところは、あまりにも日本の大人たちは子供を馬鹿にし過ぎていて教育できていないから、やはり大きくなったとき、もし小学生のときからそういう教育を続けてきていたら我が国はどうなるのか、そもそも子供を馬鹿にしすぎてないかこの国は?と思ったんです。


(安川)確かにその通りですよね。生きる上で非常に大事なお金やビジネスの事は、全然学びませんからね。

お話しが変わりますが、もうRE/MAXに入って2ヵ月くらいになりますが、フルコミッションで出社の義務のない働き方になって、今までとは大分違うとは思うんですけれども、動き方とか考え方とか変わった部分はありますか?


(深町)時間のマネジメントをかなり意識するようになりました。この時間帯はこれ、この時間帯はこれ、

とかなり自分で考えてはいるつもりなんですけれども、やっぱり会社員の時とは違い、さらに自分に対して律しなければというところはあります。

ただ自由にできる分、楽しくてしょうがないです。

これだけ自分のために自由に時間があって、その時間を使えるのはこんなに楽しいものなのかと思いました。当然ですけれども、成功するも失敗するも自己責任ですから。絶対に失敗しない、絶対に成功するという気持ちでやっています。自分で時間のマネジメントができるのが楽しくてしょうがないです。


(安川)なるほどですね。僕がどうしてもお聞きしたかったことは、皆さん、お金をお支払いいただいてお仕事されていると思うんですけれども、深町さんのような実績のあるような方がですね、普通だったら「お金払ってるけど、オフィスは何をしてくれるんだ」、と言われると思ったんです。しかし深町さんは以前「経験の浅い方に僕が何かしてあげることはありますか」と私にお話してくれましたよね?あの言葉に物凄く感動してですね、なぜ深町さんがそういう考えに至ったのかな、というところをお聞きしたかったんですよね。


(深町)私の尊敬する京セラの創業者の稲森さん、この方に共感することがあって、利他の精神なんですよね。利己ではなく利他の精神から考えると、皆さんが分かるように共有するべきだと思いました。やっぱりもうひとつ考えたことが最近あってですね。安川さんが販売していらっしゃった区分所有オフィスのやり方なんて私は分かりませんし、高松さんや朝野オーナーがお仕事にしている、お金の運用の仕方とかそういったところは分かりません。僕が提供をできるとしたら不動産の知識めいたところとか、それに関する営業のところですよね。

でもこれは人のためにやっていることは結局自分のために返ってきていると、いろいろ感じるところがあってですね。やっぱり人に教えているようで、自分が教わっている。昨日、一昨日もそうだったんですけれども、吉柳さん(Revoエージェント)からずっと質問攻めだったんですね。いろいろ質問攻めされることで、自分が学んでいるんですよね。教えながらですね。あ、これは忘れていたとか。ありがたいことに、前職ではかなり部下を教育してきたつもりなんですけれども、その部下から紹介をバンバンもらっています。それを欲しくて強要したわけではないんですね。やっぱり上司だからやらなくちゃいけないですし、教えるからには、自分が知っている事は色々と皆さんに教えて自分以上の人材になってもらうというのが、必ず部下に約束していたことなんです。今は部下とかそういうのはないですけどね。会社勤めのときは『俺を超えるつもりで学べ』と言っていました。深町さんだからできると思っていたら、お前たちは一生追いつけないぞ、ということです。やっぱり教えると勉強になる。結局人のためにやっているようで、自分のためになっている。


(安川)一番、お聞きしたかった事を聞けてよかったです。


 


(高松)色々皆さんにやって頂けるので、深町さんのお時間を取ってしまっているんではないかと気にしていました。ところが1枚も2枚も我々が想像するよりも上の方なんだなと感じさせて頂きました。

深町さんがRevoで一緒にお仕事をして頂けるとおっしゃって頂いた時にですね、飛び上がるように嬉しかったというのはですね、やっぱりご縁なんだなと思っております。

 

(安川)最後にお客様と将来RE/MAXに興味があってエージェントになってみたいなという方に向けて一言ずついただきたいんですけれども。まず、お客様に向けて、よろしくお願いします。


(深町)私は、商売においての真剣さはお客様に負けないというのを信条としております。お任せいただければ最高のプランをお届けする自信がございます。こんな私でよろしければぜひご指名いただけたらと思います。


(安川)深町さんが言うと説得力がありますね。最後にエージェントに興味がある方に向けてお願いします。


(深町)フルコミッションの世界に入るのか、会社員か、色々と悩まれる方は当然いらっしゃると思います。しかし人生の時間は限られています。限られた時間を会社のためにほとんど費やすのか、それとも自分のために時間を費やすのか、そして、RE/MAXでの働き方の方が、人生の終焉が近づいてきた時に、自分と応援してくれる方々のために使えたというところを感じるんではないかと思います。

その人その人で正解不正解というのはないかもしれませんが、もし、自分のために時間を使いたい、家族のために時間を使いたい方はRE/MAXのほうにぜひお越しいただいて、一緒に戦って参りましょう。

オーナー感想


 


(安川)


まだ、一緒に働き出して2ヶ月程度ですが、STUDY MEETINGでの講師をやって頂いたり、自主的にエージェントに声を掛け写真撮影の勉強会を開催して頂いたり、自分だけの事ではなく、常に周りの事も気にかけて頂きながら活動をして頂いています。


お客様との面談でも、常に相手の立場に立って最適の提案をしてくれる最高のエージェントです。


パフォーマンスを最大限発揮できるようにオフィスとしてもサポートして参ります。


 


(高松)


今やRE/MAX Revo の頼れる存在である深町さん。これまでのトップセールスマンとしての場数はもちろん、その、一つ一つのお客様のご契約エピソードは一冊の本が出来上がるほどです。さらに、エージェントさんとのジョイントにも本当に時間のない中、親身に相談に応じられていらっしゃいます。稲盛さんの『利他の精神』にあるとお聞きした時、深町さんの真の奥深さを感じました。最後に、深町さんのやり遂げたい夢の中に、『どうして も建てたい家がある。』これについて思い切ってお聞きしました。『子供のための家』 全ての子供たちが、商売を学べる総合施設!その壮大な夢の実現をRE/MAX Revoで全力でサポートいたします。


 

























ページトップへ