万世橋Japan Art Bridge館内アートツアーに参加しました!
エージェント活動忽然と現れたインド世界遺産の面影たち
館内は幾つかのセクションに分かれており、若手のアートや期間限定の企画もの、購入もできる陶磁器。そしてなにより、あの女性を被写体にするとビビッドで斬新な姿を切り取る大物写真家の風景写真やアメリカ大物歌手のCDのカバーの原写真など、もう期待以上に楽しい内容でした!
なかでも建築家ル・コルビュジエが都市計画に携わり世界遺産ともなったインド、チャンディーガル、そのインドから、ル・コルビュジエのパートナーであったあの従兄弟のピエール・ジャンヌがインドの人々のためにデザインし作られた家具もお目見えしており、ツアー参加者も息を呑んで熱心に眺めていました。
東京駅の波瀾万丈な歴史へ
キュレーターの方が盛りだくさんの展示品の解説をとても丁寧に説明してくださり、わたしたちは次第に時は明治45年、戦前に万世橋に駅ができ、東京駅建設へと日本が近代化に向かって邁進していた時代にタイムスリップ。
東京駅とあの日、2011年3月11日にも縁の深い器の展示物も。屋根の修繕用に用意されていた岩手石巻の天然粘板岩13万枚が東北大震災により倉庫ごと流されてしまったそうです。自身も被災しているのにもかかわらず、社員さんたちの必死の努力により7割回収され、東京駅に無事に届けられたそうです。そんな胸が熱くなる想いの権化の塊ですね。
雑司ヶ谷も東京駅を救うのに一役かっている!
実は東京駅は日本が猛烈に近代化に進む中でその姿を留めるか否や生まれ変わるかの岐路に立たされていた時期があるそうです。
以前、雑司ヶ谷に生家がある方から地域の歴史を教えていただきました。
赤レンガの東京駅を愛する市民の会発足
建築界の巨匠辰野金吾と葛西万司により1914(大正3)年12月に竣工した東京駅丸の内口駅舎は、1987年日本国有鉄道が民営化したと同時に東京駅周辺再開発計画として議論の矢面に立たされることに。その中身は近代的な高層ビルへの建て替えだったそうです。
一時は危ぶまれた建物温存、しかしながら豊島区の文化的建築物の保存活動をされていた前島郁子さんを中心に東京駅保存活動の広がりの末、「れんがをひとつひとつ丁寧に積み上げ」て建てられた東京駅丸の内口は、東京の玄関口、ランドマークとして残す決定へと覆ったそうです。
そんな歴史を動かした勉強会がここ宣教師館の横で繰り広げられていたというのですから目頭が熱くなります。
少しでも歴史が違えば全く違う今があったかもしれない世界線。興味深いです。
素晴らしい芸術に触れ熱くなり、ついつい長くなってしまいました。ここまで長文を読んでいただきありがとうございます。
Japan Art Bridge
https://japanartbridge.com/
「屋根材にも歴史有り!東京駅 スレート屋根の物語」
Roof Style
http://roofstyle.niscs.nipponsteel.com/archives/646
「雑司が谷物語 聞き書き・前島郁子ひと筋の道」
今井洋子